財務省事務次官の辞任と、新潟県知事の辞任がほぼ同時に起きて、誰にとっても時間とエロは平等なのだと感じました。
まず、時間に関して。
財務省事務次官は東大出の官僚のトップで、知事も東大を出て弁護士と医師免許も持っている超エリート。どちらも現在の地位になるまで、相当な努力をしてきたと思われますが、勉強や周囲との競争に時間を費やし、他の事、例えば年齢相応に経験する遊びの時間や、コミュニケーション力を身につける時間を、持つことができなかったのではないでしょうか。
何かに特化するということは、選択をして他を捨てる(もしくは後回しにしている)わけで、必然的に何かが足りなかったり、欠落していても不思議ではありません。特化したいことに、一番時間を割かなければならないのですから。
そのため、昭和の感覚で下ネタ(セクハラ発言)が会話の潤滑油と勘違いしていたり、お金で女性を買うことでしか異性とコミュニケーションが取ることができなかったり。「時間は誰にとっても平等」と言いますが、平等に過ぎ去っていく時間の中で、それらをうまくこなせる術を身につける時間、言い換えると機会やタイミングが無かったのでしょう。
次にエロに関して。
どれだけ周囲から尊敬される立場まで登り詰めた人でも、エロへの欲望は凡人と同じで、自らの地位を失う要因になり得るということです。賢者も凡人もエロの前では無力…。
「人による」と言ってしまえばそれまでですが、成功を収めて登り詰めた人は、自らの成功体験のおかげで、本当はエロを後回しにしてきたにもかかわらず、自分はうまくコントロールできると勘違いしてしまうのではないでしょうか。
普通の会話の中に、いきなり下ネタを挟む当たり、それを面白いと感じているフシがあり、自分ではエロをコントロールしながら、相手を楽しませていると思い込んでいるようです。
私は新潟県知事と年齢が近いですが、もしも自分がこの年まで恋愛経験もなく、誰からも告白されたり、した経験もなければ、性に対して偏った考えを持つ人間になっていたと自信を持って言えます(笑)。
何かに特化して成し遂げることは立派ですが、ホドホドに他のことも経験して知っておくことも必要ですね。
学校では教えてくれない大切なこと 8時間の使い方 [ 旺文社 ]